2017-03-28

西海市里山八景長尾城跡公園ステージ完成!約270度の絶景をバックに阿波踊りでこけらおとし

2017年3月24日西海市里山八景長尾城跡公園ステージ完成でのこけらおとし2017年3月25日西海市里山八景長尾城公園に絶景ステージが完成!

長崎新聞の小槻さんの記事を読んだ方はご存知かもしれませんが、今、知名度を上げている西海市の絶景スポットに絶景ステージが完成しました!

こけらおとし15秒動画をどうぞ!

おかあさん方の笑いが最高です。

七ツ釜鍾乳洞から車でなんと1分の至近距離!

の場所にそれはそれはすばらしい絶景ポイント長尾城公園があります。

3月25日この日、長尾城公園に石宗地区の住民ボランティアの皆さんが全員集合していました。

なんでも、4月1日と2日に開催される「さいかい里山の春まつり 七ツ釜鍾乳洞界隈の櫻と菜の花祭り」会場から、この公園まで回遊する観光客に心地よく楽しんでもらおうと、敷地内の整備に集まったそうです。

そして、完成したばかりのこの絶景ステージで、お祭り期間中は「三線ライブ」も行われる予定です!

「きれいにしとかんば!この絶景公園を鍾乳洞界隈に来とる年間3万人の人たちに、もっと知ってもらいたかし!」と代表者の田添さん。

2017年3月25日西海市里山八景長尾城跡公園に完成したステージ

2017年3月25日長尾城公園に完成した絶景ステージ

絶景ステージの後ろには「城跡絶景館」があります。ここは屋根付きのくつろぎスペース。テーブルを囲んで10人ぐらい座れます。

西海市里山八景長尾城公園の城跡絶景舘

城跡絶景館

長尾城公園の城跡絶景舘の室内

館内の広々したくつろぎスペースは寒い時も安心

室内で少し上に目をやると、ズラリと写真が並んでいます。西彼町うず潮太鼓の演奏も行われたそうです

長尾城公園の城跡絶景舘の室内に飾られる西彼町うず潮太鼓の写真

背景にピンクの花が見える。時期は春かな!?

長尾城公園の城跡絶景舘の室内に飾られる写真吉村作治

なんか見たことある偉い人も写ってたりします

そしてステージ向かって右には、キレイなトイレ。

長尾城公園のキレイなトイレ

眺めよすぎるトイレです

ステージ向かって左には、カップル専用!? 絶景スイングベンチ

長尾城公園のゆりかごベンチ

ブランコの周りは桜の木があります

そして、絶景ブランコ!

長尾城公園の絶景ブランコ

定期的にメンテされ大人も大丈夫

さらに、絶景デッキ!

長尾城公園の絶景デッキ

絶景デッキの周りにも桜の木があります

この場所から真下に、その七ツ釜鍾乳洞と旧西海楽園を見下ろすことができます。

今紹介した絶景ステージ、城跡絶景舘、カップル専用絶景ベンチ、絶景ブランコ、絶景デッキ、のすべてが田添さんの手作り!
それもそのはず、田添さんは大工さんでした。
絶景ステージをよ~くみると、たしかにあまり釘や金物が使われていません。

長尾城公園の手作りの絶景ステージ

木材同士を組み合わせる建築技術がカッコいい

12年前から始まった長尾城跡の整備。「この景色を皆に見せたい。そしてふるさとを盛り上げたい」という田添さんの強い思いが、石宗地区住民ボランティアの方々の心を動かし、車道舗装はもちろん駐車場、休憩所、トイレ、遊具までキレイに整えられ訪れやすい環境になりました。

そして今回できた絶景ステージ。長尾城公園の魅力向上に取り組む石宗地区のみなさんは、新たなステージへ向かいます。

 

※絶景ステージ、絶景ベンチ、絶景ブランコ、絶景デッキは勝手にこのブログの筆者が名付けました。実際には別の名前があるかもしれません。

下記案内板より引用

長岡玄蕃頭居城
長尾城は、永正年間(1504年~1521年)、太田和、中浦の境にある石宗この地に、長岡玄頭によって築かれた山城である。
「大村郷村記・中浦村」に、「本丸東西拾八間、南北拾弐間、城より北の方(北東の方角)も長さ三間、深さ壱間、横弐間の堀切あり」とある。
長尾玄蕃頭は、平家の落弐者と伝えられ、永正元年(1504年)頃、壱岐郷ノ浦から南下し、太田和の海岸川原隈(こうらくま)に上陸した。
その後石宗の地に、移住長尾城築き、この地域を領有した。多以良を領有する小佐々弾正が長尾城を攻めた時、小佐々勢が弓を引いた地を弓張松(ゆみはりまつ)と呼びぶようになった。これが中浦北郷に残る地名の由来である
玄蕃夫婦の墓はこの近くの石宗墓地の中に現存する長尾城は、急峻な地形を巧みに利用した天然の要害あり、西彼杵半島に残る中世城郭の一つである。本丸から北西方向に太田和集落、黒島、平戸島、西方に釜敷山、大島蛎ノ浦島(崎戸町、遥か遠くに五島列島を望むことができる)
平成十九年六月吉日
石宗地区長岡玄蕃顕彰委員会

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